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 を読了。
 最後を除いて、粒揃いの短編集。

 『キッド・ピストルズの妄想―パンク=マザーグースの事件簿 (創元推理文庫)』は「マザーグーズ」とか「聖書」とか「不思議の国のアリス」とか、遊び心一杯の玩具箱。相変わらずの、物理学の解説書のような薀蓄が長々と書かれている事を除けば、面白かったと言える。どうにかならないもんかねえ、あれ。「神の塔」はそれが必ずしも無駄になってないから、良いようなものの……。


 答えの無い短編集合体『しゃべくり探偵の四季―ボケ・ホームズとツッコミ・ワトソンの新冒険 (創元推理文庫)』は、会話文だけで進む話あり、延々と床屋の独り言で埋まっている話ありの、異色作。


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 「友達は大切だ」とか「友達を大切にしなさい」と良く言われました。子供の頃(と言っても、まだ私は子供ですが)。その頃は何の疑いも無く、それを受け入れていたと思います。嫌いな人と遊んだり、やりたくも無い事を、友達に合わせるためにやったりした覚えがあるからです。殆どの人はそれに何の疑問も抱いていないのでしょう。
 しかし、それは本当に正しいと言い切れますか。本当に友達は大切ですか。それほど優先順位が高いものですか。
 普通の人間関係で、ただ「友達はを失いたくない」というだけで、要らぬストレスを作っている人が多いように思うのです。

 私は学校において、クラスの皆と一歩離れた場所にいるので、その友達同士の人間関係を比較的冷静に見ることが出来ます(錯覚かもしれませんが)。そうすると、見えてくるのです。詰らない諍いで対立する個人、グループが。
 両者(又は両方)に非が同程度にある状況(所謂"喧嘩"状態)ならばまあ良いほうなのですが、明らかにそうではない場合もあります。一方に非がある(又は重大である)場合、それは必ずしも"正論"が通らない事があるのです。
 その場合、学校内で出来るグループは大抵ピラミッド社会だから、グループ内での力関係が問題になるのです。無論、グループで上位にある者の勝ちなのですが、その後の粛清とも言える「村八分」が起こる訳です。

 一番問題があるのは、そのイジメのようなクラス内での「村八分」自体ではなく、それを受ける人の方です。何とか仲直りしようとするのですよ。それで―――



 自分が何をしたいのか判らなくなったので、中断。


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 長文を書くと、いつも以上に支離滅裂。