独創性、独自性、類型=真実?

 テレビで「サイクロン掃除機」なる物を発明した、何とかって言う外国人の話をやっていた。
 そこで、「独創性」と言う言葉をやけに繰り返し、強調して放送していた。
 「人の真似をすることが、嫌いなんです(云々)」と。
 しかし、そこまで「独創性」が大切なのかな、と思いました。
 所謂「類型」の物と言うのは、その歴史上確かな機能、安定したスタイルとして確立した物で、それ程捨てたものじゃ無いと思います。

 そもそも、「独創性」=「良質」では、必ずしもありません。奇を狙いすぎた「奇策」は、策士が策におぼれる結果になる恐れがあります。

 もちろん、「独創性」は必要です。ですが、それが「類型」を強く意識した「独創性」では意味がありません。
 「類型」を忌避するだけでは、「類型」から最も遠くにある筈の「独創性」有る物が、「類型」の最も影響を受ける物になってしまうと思います。

 「独創」は「類型」の補集合、共通集合である事はあっても、余事象である事は無い、と言うことです。


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 いや〜。改めて上の文を読むと、負け犬の遠吠え 負け惜しみに思えますね。ま、事実ですがw

 今日は読了本無し。ほんとに本読んで無いなあ…。


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 京極夏彦の『風』(番外編:図面引きが主人公の奴)が再来月に出るらしいですよ!(ソース:大極宮
 金貯めておかないと…。(←昨日と同じ締め)